赤絵 あかえ

赤絵
あかえ

施釉し、焼成した白磁の器面に赤・緑・黄などの上絵付で文様を描き、再度窯に入れて低火度の酸化焔で焼き付けたものである。中国で発達し、日本では江戸時代から赤絵と呼ばれて親しまれた。中国の赤絵には南京赤絵・古赤絵・呉須赤絵・金襴手などがあるが、近年では五彩と総称されることが多い。第二酸化鉄の細かい粉末(紅殻)や一種の鉛釉による上絵の具で、筆で細かい文様を描く。釉下に青花が併用されたものも多い。上絵付は、技法的には金代の河北省や河南省などの磁州窯系の窯で焼成された宋赤絵を先駆とするが、元代末期に景徳鎮で完成され、明代中期には景徳鎮の民窯で大量に生産された。海外にも盛んに輸出され、特に万暦年間の五彩は万暦赤絵として日本で珍重された。また、有田の色絵磁器などにも多大な影響を与えた。なお、明末・清初ごろ輸出向けに量産した自由奔放な図柄の呉須(呉州)赤絵と呼ばれる、一群の五彩が日本や東南アジア各地に残り、16世紀後半から17世紀の日本の中近世遺跡からも数多く出土する。これらもかつては景徳鎮の民窯の製品と見られていたが、近年、福建省漳州窯の製品であることが判明している。

(上田秀夫)

以上、転載