須曽蝦夷穴古墳 すそえぞあなこふん

須曽蝦夷穴古墳
すそえぞあなこふん

石川県七尾市(旧鹿島郡)能登島町須曽の標高約78mの丘陵平坦部にある方墳。東西18.65m、南北17.05mを測り、墳丘裾部の一部に列石がめぐる。南に開口する2基の横穴式石室(雄穴・雄穴)を計画的に併設する。東側の雄穴は玄室の構造が羨道から左右に広がるT字型プランを呈し、西側の雌穴は逆L字形に近い両袖型プランを呈する。ともに基底石の上部に安山岩板石を平積みし、隅三角持送りと平行持送りの技法を併用した低いドーム型天井を架構している。また羨道には間仕切りがあり、そこから玄室床面に敷石を施す。雌穴には棺台を設ける。雄穴では鞘尻金具・刀子・砥石・鉄釘・須恵器が出土し、雌穴では鉄製銀象嵌円頭大刀・枘穴鉄斧・鉄釘・須恵器が出土し、7世紀中葉から後半の築造と見られている。1884年(明治17)坪井正五郎が玄室部の発掘を行っており、1953年(昭和28)駒井和愛が主導した発掘調査では、朝鮮半島の系譜をひく石室構造が注目された。

(戸澗幹夫)

以上、転載

 

長い坂を登ると到着。海岸線を見渡す絶景です。1つの墳丘にそれぞれ見応えある石室が2つ並ぶなど、古墳好きなら外せません。朝鮮半島系の石室も天井も、一体どんな人物が葬られたのかと。また、ここ能登半島は渤海使とのゆかりも気になる土地。客館はどこかに眠っているのでしょうか。日本海を越えた交流、これからの発見が楽しみです。

そして七尾は、あの『松林図屏風』を描いた長谷川等伯の出身地。

小説『等伯』(安倍龍太郎/著)で等伯がさまよった松林は、風は、この海だったのでしょうか。

 

*辞典解説文の漢字をピックアップ


ゼイ、ほぞ

 

 

 

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