浮屠 ふと

浮屠
ふと

「浮図・浮頭・蒲図・仏図」とも記す。Buddha(仏陀)やStupa(卒塔婆)を音写したもので、もともとは仏像や仏塔の意味であるが、一般的には僧侶の舎利や遺骨を納める墓塔を指す。転じて、仏寺・僧侶の意にも用いる。『三国遺事』では新羅の圓光法師の「浮図」が貞観年間(627~649)に建てられたと記す。文献に見られる最も古い記録であるが、現在確認されていない。現存するもっとも古い浮屠は、出土地は不明であるが、ソウル特別市景福宮内に移転された文聖王6年(844)に建てられた廉居和尚塔である。高さは1.7mで、台石・塔身・屋蓋石・相輪部材まですべて八角であることから、八角円堂型浮屠と呼ぶ。統一新羅時代はほとんど八角円堂型であるが、ほかに蔚山市太和寺跡の十二支像浮屠のような石鐘型浮屠もある。以後、この二つの型式を祖型として高麗時代に大きく発達する。

(李タウン)

以上、転載