陵寺跡 りょうじあと

陵寺跡
りょうじあと
Neungsa-ji

韓国・忠清南道扶余郡扶余邑陵山里にある三国時代百済の寺院跡。当時の王都である泗沘(現在の扶余)の故地から東方へ3㎞余りの羅城外にあって、王陵を含むと推定される陵山里古墳群の西側に位置する。寺院跡の発掘調査は、史跡整備事業の一環として、国立扶余博物館が中心となって、1992年から2002年にかけて8次と、韓国伝統文化学校が2005年9次にわたって実施された。その結果、中門・木塔・金堂・講堂が南北一直線上に並ぶ、一塔一金堂式の伽藍配置であることや、講堂の背後に工房群があったことなどがわかった。発掘調査の過程で多種多量の遺物が出土したが、そのうち金銅製大香炉と花崗岩製舎利龕は特筆される。前者は、西側回廊跡の北端に連なる東向きの建物跡で、工房跡と推定される場所で出土した。香炉は高さ61.8㎝を測るが、蓋には蓬莱・方丈・瀛洲の三神山を象徴的に表現したようで、中国の博山炉に起源が求められる。身部には蓮弁と、それを支える脚部には龍が表現されるなど、おそらく失蠟法によって、精巧で優美に仕上げられている。また、木塔跡から発見された後者の舎利龕には、昌王13年(567)の銘が刻まれていて、築造年代がそのころに推定される。この寺院は、王陵が含まれると推定される陵山里古墳群との位置関係から見て、王陵に付属する陵寺と考えられる。

(西谷正)

以上、転載

 

百済を詳しく学んでいなくても、韓国の国宝・金銅製大香炉はどこかできっと目にしていますね。忘れられない優美な姿。

まずは国立扶余博物館でその大香炉を。特別室で放たれるオーラは特別のものがあります。刻まれた1つ1つの動物や仙人の解説写真を見ていると、不思議な異界へと引き込まれます。

その後、町の中心部から少し離れたこの寺跡に立つと、この足元からあの大香炉が、と感激が湧いてきます。

博物館では出土した時の写真が掲示されており、香炉は、泥にまみれて横になった姿を地中から現していました。ここが、その現場!

目の前を走る羅城のラインは、急速に復元が進んでいました。

 

 

*辞典解説文から漢字ピックアップ


カン、ガン、か(つ)、ずし