相島積石塚群 あいのしまつみいしづかぐん

相島積石塚群
あいのしまつみいしづかぐん

福岡県糟屋郡新宮町大字相島に所在し、島の東端付近の長井浜と呼ばれる海辺に位置する積石塚群。分布状況や規模を確認するため、新宮町教委が1994年(平成6)から97年まで4年にわたって調査した。その結果、積石塚は西北から東南方向に長さ約500m、幅約50mの範囲で251基が確認された。そのうち17基について部分的な発掘を伴う精査が行われた。その中には一辺12mの方墳もあるが、直径3~5mの円墳や方墳が多い。内部の埋葬施設は、竪穴系横口式石室・箱式石棺・横穴式石室などであり、時期的に変遷した。出土遺物には須恵器・土師器・金銅製耳環・水晶製切子玉・鉄鏃・鉄刀・人骨のほか、加耶土器もしくは初期須恵器は注目される。土器から見て積石塚群は、4世紀後半から6世紀後半にかけて築造され、一部で7世紀まで追葬などに使用されたと思われる。なお、積石塚群の南端付近には、享保4年(1719)銘の墓碑を含む墓地が25基確認された。これらは第9次朝鮮通信使の折、黒田藩の迎護船が暴風雨で遭難したが、そのときの犠牲者の墓地であることが黒田家文書によって裏づけられる。

(西谷正)

以上、転載

 

海岸に累々と続く積石塚。石をただ積み上げたように見えるのに、こうして残っているとは不思議です。冬には玄界灘の寒風が吹き荒れ荒波が叩きつけるこの地に、どんな集団が葬られているかは、まだ不明だそうです。

西には志賀島や博多湾、東には福津市の宮地嶽神社という位置関係も気になります。巨石と豪華な副葬品で知られる宮地嶽古墳の石は、ここ相島のものだそう。

また宮地嶽神社は、参道からまっすぐに伸びる「光の道」が話題となりましたが、その直線上にここ相島が見えるのです。

相島の積石塚群は、東からの飛行機が福岡空港に降りる直前、左窓の眼下によく見えます。