宮地嶽古墳 みやじだけこふん
宮地嶽古墳
みやじだけこふん
福岡県福津市(旧宗像郡津屋崎町)宮司の宮地嶽神社境内に所在する大型円墳。墳丘は標高約55mの尾根を切断して築き、南北27m×東西34m前後の楕円形を呈すが、本来は直径約35mの円墳と考えられる。主体部は東に開口する巨石使用の無袖式横穴式石室で、その奥に横口式石槨を設けており、全長23.5~24mである。『筑前国続風土記拾遺』の記載から、1741年(寛保元)に開口したと考えられる。石室外の数ヵ所に金銅製透彫冠、頭椎大刀(大小各2)、馬具(鞍・壺鐙・鏡板付轡・杏葉)、ガラス板・ガラス玉、金環、銅鈴2、銅鋺・承盤などが再埋納されている。そのうち、ガラス板は濃緑色を呈する鉛ガラスで、ガラス玉の素材と考えられている。被葬者は『日本書紀』天武2年(674)条記載の胸形君徳善に比定する見解もあるが、石室形態や副葬品からは7世紀前半に比定される。また、古墳東側の丘陵西斜面からは、8世紀初頭の火葬墓とガラス蔵骨器が出土している。
(岡田裕之)
以上、転載
蘇我馬子の墓ではと言われている明日香村の石舞台古墳。
あの巨石古墳の石室が、長さ19.4m。
ここ宮地嶽古墳の石室が、長さ23~4m。
なんと巨大な墓。誰が眠っていたのか想像が膨らみます。
ムナカタ族?安曇族?
尼子娘(あまこのいらつめ)の父である、
在地豪族の胸形君徳善だったとしたら・・・。
尼子娘は、天武天皇の妻にして、高市皇子の母。
「え、つまり、長屋王のお祖母さん? そのお父さん!?」… です。
境内の最奧、丘陵を上った所にありますが、
目の前に神社ご神体の山、
眼下の平野には古代の道、
神社参道の先には玄界灘が広がります。
海と生きた豪族が眠るにはふさわしい。
