烏孫 うそん

烏孫
うそん
Wusun

中国・新疆ウイグル自治区の北部を東西に横切る天山山脈の、北側西方付近を西へ流れるイリ河流域の草原地帯に居住した遊牧民族。BC122年(元狩元)に、漢の武帝は匈奴に対する牽制策から、烏孫王に張騫を派遣したり、公主細君を降嫁させたりして同盟関係を結ぼうとした。そのイリ河流域には、円形の墳丘を有するところから土墩墓と呼ばれる墳丘墓が濃密に分布する。新疆文物考古研究所では、1961年以来、本格的に発掘調査した。封土中ではしばしばウマ・ヒツジ・イヌなどの動物骨が検出される。墓室は竪穴式で、多くの場合、木槨構造を持っている。副葬品は比較的貧弱であって、大部分が土器である。まれに金製の指輪や耳飾とか、銅錐・銅飾や環頭鉄大刀などの金属器のほか、木や骨で作った装飾品などが含まれる。墳丘墓は、戦国~秦代に始まり、前漢代初期を経て、一部に後漢代まで下るものがあるようである。出土人骨の分析によると、被葬者はヨーロッパ系に、若干のモンゴル系の形質が混じるといわれる。

(西谷正)

以上、転載

 

 

*辞典の解説文から漢字ピックアップ


トン

土墩墓(どとんぼ)