高良山神籠石 こうらさんこうごいし
高良山神籠石
こうらさんこうごいし
福岡県久留米市御井町に所在する高良山(標高252m)に築かれた古代山城。1898年(明治31)久留米在住の小林庄次郎が「筑後国高良山中の『神籠石』なるものに就て」の報文を『東京人類学会雑誌』(14-153)に発表し、初めて九州の神籠石遺跡の存在が学界に紹介された。高良山において「神籠石」は本来参道途中の馬蹄石(岩座)を指した名称で、列石遺構は「八葉の石畳」と呼ばれていたが、その後、女山などで同様の遺構が確認され、神籠石が通称として誤って使われるようになった。神籠石として最初に紹介された遺跡であるが、現在まで発掘調査は行われていない。外郭線は周長推定約2.5㎞であるが、列石線は南半分の1.5㎞だけ確認されている。南谷水門はすでに大破しているが、女山の長谷水門などに類似した構造であったと推定される。西山麓には筑後国府やその前身の古宮遺跡、古道藤山道を塞ぐ上津土塁があり、律令制支配成立期の官衙群・施設とのセット関係が認められる。
(向井一雄)
以上、転載
*辞典の解説文より漢字ピックアップ
女山=ぞやま(地名)
