御所ヶ谷神籠石 ごしょがたにこうごいし
御所ヶ谷神籠石
ごしょがたにこうごいし
福岡県行橋市津積・京都郡勝山町(現みやこ町)大久保と犀川町(現みやこ町)木山にまたがるホトギ山(標高246.9m)の西北斜面に築かれた古代山城。1908年(明治41)伊東尾四郎により報告されたが調査は進まず、60年代からの定村責二らの踏査研究を経て、93年(平成5)から発掘調査が開始された。外郭線は周長約2.6㎞、二つの谷を取り込んで土塁がめぐり、谷部には石塁を設けている。中門石塁は上下2段からなる切石積み石塁で、突出させた石樋は国内では類例がない。発掘の結果、土塁基底部の列石は版築土層に覆われていることが判明した。列石の非露出が石城山、大廻小廻山に次いで再確認された。列石前面の柱列は大小2本検出され、1.8m間隔で列石寄りの大きい柱は土塁に埋め込まれた状態であった。御所ヶ谷の西側外郭土塁基底部には列石がなく、内側の列石線を転用して西門を造り、外郭線は北側に拡張されたと推定されている。城門は7ヵ所あり、第2東門が調査中である。
(向井一雄)
以上、転載
