乾陵 けんりょう

乾陵
けんりょう
Qian-ling

中国・陝西省乾県北の梁山にある。唐の高宗李治と則天武后の合葬陵墓。光宅元年(684)に高宗、神龍2年(706)に則天武后が追葬された。1958~60年に調査された。陵園は内外2重の城壁で囲まれ、陵墓は内城中央の梁山中腹にある。陵園の南面に3ヵ所の道門があり、内城壁の四面中央に門がつく。内城壁は全長5920mで、版築で築かれる。内城壁四面中央門外に1対の石獅子、北門に6頭の石馬が置かれるほかは、石造物のほとんどが第2道門から第3道門の左右に集中し、南から順に華表・翼獣各1対、石馬および牽馬人5対、石人10対、無字碑、述聖記碑、61人の蕃酋像が並ぶ。乾陵は石灰岩の岩山である梁山をくり抜いて墓室をつくる崖洞墓に属し、全長63.1m、幅3.9m、深さ19.5mの墓道が確認されている。墓道は切石で築かれ、石と石を鉄製の楔で固定した後に隙間に溶鉄を流しかけ、その上を版築土で埋めている。陵園の東南には陪葬墓17基があり、このうち永泰公主墓・章懐太子墓・懿徳太子墓を含めた5基が発掘されている。

(吉田恵二)

以上、転載

 

 

 

*辞典解説文から漢字ピックアップ

永泰公主墓
えいだいこうしゅぼ

章懐太子墓
しょうかいたいしぼ

懿徳太子墓
いとくたいしぼ