懿徳太子墓 いとくたいしぼ

懿徳太子墓
いとくたいしぼ
Yidetaizi-mu

中国・陝西省乾県韓家堡にある。唐中宗の長子李重潤の墳墓。大足元年(701)に則天武后に殺されたが、中宗復位後の神龍2年(706)に洛陽の墳墓から移され、乾陵に陪葬された。東西55m、南北56.7m、高さ18mの覆斗形の方墳で、東西214m、南北256.5mの長方形の垣で囲まれ、垣の四隅に建築遺構がある。垣の南面に土闕1対があり、闕の南に石獅子1対、石人2対、石華表1対が並ぶ。墓室は全長100.8mで、墓道・過洞6・天井7・小龕8・前後甬道・前後墓室からなり、甬道と墓室は塼築である。後室西側に鳳冠を被った宮女を線刻した石棺1が置かれる。墓壁は壁画で満たされ、墓道の東西両壁に三出闕と、城壁を背景とした太子の儀仗が描かれ、儀仗の最前列は歩行の儀仗隊、中間は騎馬の儀仗隊、最後尾は3輌の馬車である。過洞内に馴豹・架◎(◎=夕に缶に鳥)・侍従・侍女、天井内に戟架と輦、甬道から墓室にかけて両手で物を捧げ持つ侍女、後室頂部に日月・銀河・星宿などの天象画がある。盗掘を受けているが、11点の大理石哀冊と1000点余の副葬品が残る。副葬品のうちもっとも多いのは陶俑834点で、ほかに三彩俑69、木俑162・三彩生活用具・鎏金銅馬飾・鉄製馬鐙がある。

(吉田恵二)

以上、転載

 

 

 

*辞典解説文から漢字ピックアップ


イ、うるわ(しい)、よ(い)


ケツ、か(く)、か(ける)、のぞ(く)、もん


カン、ガン、か(つ)、ずし


ケキ、ゲキ、ほこ


レン、こし、てぐるま


リュウ


トウ、あぶみ、たかつき