益山〔遺跡〕 えきざん
益山〔遺跡〕
えきざん
Iksan
韓国・全羅北道益山郡金馬面を中心とする、いわゆる益山の地に濃密に分布する三国時代百済の遺跡群。金馬面の街の南郊1㎞ほどの所には、幅約230m、長さ約450mの長方形をした土塁があり、益山王宮跡と推定される。その南郭の王宮里廃寺跡には、五重石塔が残る。ここから、西北に約2.5㎞地点には五金山山城がある。王宮里廃寺跡から、東方に約1.5㎞の所には、帝釈寺跡がある。王宮里から北方6㎞余りの弥勒山には、山城が築かれている。弥勒山の南西麓で、金馬面の街からは北西方に約3㎞の所には弥勒寺跡があり、朝鮮半島で最大級の石塔が遺存する。この石塔の東方には、木塔跡と石塔跡が2ヵ所にあり、3院からなる特異な伽藍配置を示す。弥勒寺跡の北西方約3㎞の蓮洞里には、光背を備えた石仏坐像がある。また、弥勒寺跡の南方3㎞余り離れた石旺里に、益山双陵と呼ばれる大小2基の円墳があり、百済の武王とその后妃の陵墓とする伝承が残る。これらの遺跡群は、主として百済後期の所産であり、京都市青蓮院所蔵の『観世音応験記』に「百済武広王遷都」と見えることなどから、益山の地を7世紀前半の武王の時期の別都とする見方が強い。益山はまた、百済に先立つ馬韓50余国のなかの乾馬国に比定されている。そして、益山郡多松里出土の多鈕粗文鏡をはじめ、数ヵ所の青銅器出土地として、さらに益山市永登洞の方形周溝墓の所在地としても知られる。
(西谷正)
以上、転載
*マップは全羅北道益山市の範囲
