パジリク文化 ぱじりくぶんか

パジリク文化
ぱじりくぶんか
Pazirik culture

ロシア・南シベリア・アルタイ山脈に広がる騎馬遊牧民文化成立期の特徴をそなえた代表的な文化である。1929年、M.P.グリャズノフとS.I.ルデンコがウラガン河口で凍結クルガン(パジリク1号墓)を発見して世界的脚光を浴びた。1947~54年にかけてパジリクのほか、カトゥニ川支流のバシャダル、トゥエクタで首長クラスの凍結クルガン群がルデンコにより調査され、文化内容の大要が明らかにされた。クルガンは高さ数メートル、径数十メートルの巨大な積石塚で、いずれも造営直後に盗掘を受けたが、盗掘坑から流れ込んだ雨水が構造の特殊性により、内部は永久に凍結した状態となり、主体部は盗掘直後の状態のまま保存されていた。ふつうの条件では腐敗してしまう遺骸や有機性の各種の遺物がほぼ当時のままの状態で発見された。その結果、ヘロドトスの『歴史』が伝えるスキタイ人の風習、貴人の遺骸のミイラ化、頭皮剥奪、側妾の殉葬、テントでの大麻の吸引、馬の陪葬の風習が実際に存在したこと、現存最古の古代ペルシャの毛織物や絨毯、中国産の絹織物や銅鏡をはじめとして、広い文化交流の盛んな状況を示す多数の遺物が残されていたことは特筆される。起源や変遷、その年代や担い手などの諸問題の多くは課題として残されているが、現在、クルガン群全体が調査され、古い時期の様相もしだいに明らかにされるなど新たな動向も生まれている。

(藤川繁彦)

以上、転載