芳荑洞古墳群 ほういどうこふんぐん
芳荑洞古墳群
ほういどうこふんぐん
Bangi-dong-gobungun
韓国・ソウル特別市松坡区芳荑洞に所在する三国時代の古墳群。1975年に1号墳。76年に4・5・6号墳を蚕室地区遺跡発掘調査団が発掘した。1号墳は径約10m、高5mの円形封土墳で、埋葬施設は南北を主軸とする横穴式石室である。玄室は東西2.5m、南北3.1mの長方形で、奥壁側がやや広い。側壁は不定形の塊石を用い、天井は穹窿状天井をなす。床面の東側に南北2.4m、東西1.3mの屍床があり、その西側で壺など3点の土器が出土した。羨道は入口から見て左側に偏ってつく。長3m、入口幅1.5m、最大高1.3mを測り、玄門から1mの地点で閉塞されている。4号墳は径13mの円形封土墳で、埋葬施設は南北を主軸とする横穴式石室である。玄室は南北2.34m、東西2.57mで正方形に近い。四壁は高1.27m前後までは直立し、そこから内傾して穹窿状天井をなす。羨道は南壁中央につき、長1.45m、幅1mを測る。奥壁中央から羨道外まで排水溝がつく。玄室・羨道とも、壁面には石灰が塗られていた。有蓋高杯1・高杯蓋1・鉄釘3・鉄片と人骨が出土した。5号墳は径約9mの円形封土墳で、石室は長2.01m、幅1.42mで、基底部のみが残っていた。有蓋高坏2・瓶1 が出土した。6号墳は南北を主軸とする横穴式石室である。玄室は南北2.88m、東西2.28mの長方形をなす。玄室中央に隔壁があり、調査者は西側を主室、東側を副槨と推定した。側壁は1.68mまで残り、調査者はトンネル天井であったと推定する。南壁中央に羨門がつくが羨道は残存していなかった。無蓋高杯1と人骨が出土した。
漢城期の王都周辺で調査された横穴式石室中心の古墳群であり、日本の考古学界では、日本の横穴式石室の起源を考える上で重要な資料として注目されてきた。しかし、出土土器は新羅土器であり、韓国の考古学界では、6世紀後半以降の新羅古墳であると見る説が有力である。
(吉井秀夫)
以上、転載
