隋唐洛陽城 ずいとうらくようじょう
隋唐洛陽城
ずいとうらくようじょう
Suitang Luoyang-cheng
中国・河南省洛陽市に位置する隋・唐代の東都。隋の煬帝の命で宇文愷が大業元年(605)に造営を開始し、翌年の正月に完成した。洛陽城は南に伊闕、北に邙山、東に廛河、西に澗水に臨み、その間を洛水が貫流する。規模は大興城より小さく、形態と平面配置も大興城と異なる。唐代の皇帝も前後約100年にわたって洛陽に住んだが、長寿2年(693)に外郭城の城壁を高め、乾封2年(667)皇城西南隅に上陽宮を増築した以外、都市としての規模・形態ともに大興城を踏襲した。1954〜65年まで中国科学院考古研究所によって宮城・皇城、周囲の小城の平面配置と門跡・街道・里坊・市が調査された。
外郭城の城壁は版築で築かれ、城壁の基底部の幅15〜20mを測る。東城壁7312m、西城壁6776m、南城壁7290m、北城壁6138mの正方形に近いが、西城壁は洛水以南の地形に沿って西に突出している。城壁西面には門がないが、東面と南面に各3門、北面に2門の計8門があり、これらを結んで洛河以南は12本の南北道路と6本の東西道路、洛河以北は4本の南北道路と3本の東西道路によって碁盤目状に区切られる。このうち南面中央の定鼎門に通じる定鼎門大街は城郭中最大の幹線道路で、天門街とも称され、現存幅も121mである。城内の居民区を隋では里、唐では坊と称し、『唐六典』『旧唐書』に洛陽東都城内に103坊があったと記され、洛河以北の9坊が確認されている。他の坊は現在の洛陽市街および洛河によって失われている。各坊は一辺500〜580mの正方形に近く3ヵ所に市が設けられていた。宮城は外郭城の西北隅に位置し、基底幅15〜16mの城壁で囲まれ、東面1275m、南面1710m、西面1270m、北面1400mを測る。南面中央の応天門(隋・側天門)と、その左右の明徳門(隋・興教門)・長楽門(隋・光政門)、西面の嘉豫門、北面の玄武門が確認されている。宮城東南隅に東宮、宮城北部に陶光園、西北部に九洲池がある。皇城は宮城の東南西の3面を囲むように基底幅14〜16mの城壁で配され、南面西側の右掖門の門道に幅1.25mの轍跡が残り、「左入右出」の制の証拠とされている。
(吉田恵二)
以上、転載
