漢陽(漢城)〔遺跡〕 かんよう(かんじょう)
漢陽(漢城)〔遺跡〕
かんよう(かんじょう)
Hanyang(Hanseong)
李朝(朝鮮王朝)の首都。1392年、朝鮮半島では李成桂が高麗王朝を倒し、李氏朝鮮を建てた。開京(開城)で王位についた李成桂すなわち太祖は、まもなく漢陽(漢城)つまり現在の韓国の首都・ソウルに移都した。李成桂は、太祖3年(1394)10月に漢陽へ行き、宗廟と社稷の地を定め、翌4年2月に工事を始めたが、同年9月には宗廟と正宮である景福宮の建設を竣工している。それ以来、500年以上にわたって、漢陽は政治・経済・文化・軍事・交通の中心地となった。ここは、北と南にそれぞれ北漢山・北岳山と南漢山・冠岳山がそびえ、そして、中央部に漢江が東から西へと流れて自然の要害をなすという、首都にふさわしい地理的条件をよく備えている。太祖は、その4年(1395)に都城として、北の北岳山、南の南山、東の駱山、西の仁旺山を結ぶように、ほぼ円形に全長約18.5㎞の城壁を築いた。山岳部は石塁であったが、平地部は土塁であった。その後、土塁部分も石塁に改修されている。城門は四大門と四小門があったが、そのうち崇礼門(南大門)・興仁之門(東大門)など若干が現存している。ちなみに、崇礼門はソウルにある木造建物としては最古で、韓国の国宝第1号に指定されている。
なお、およそ20㎢余りの城郭都市の北半部には、太祖以来、景福宮・昌徳宮・昌慶宮・慶熙宮・徳寿宮の五つの宮殿が造営されたが、その位置だけしかわからない慶熙宮を除くと、ほかは往時の面影を比較的よく残している。慶熙宮跡については、1994年にソウル市立博物館新築工事に際し発掘調査された。その際、礎石・オンドル・井戸・排水路などの遺構群や、大量の陶磁器・瓦などの遺物が出土した。現存する慶熙宮の絵図面との対比から、それらは養徳堂・至孝閣や、その付属建物の遺構である可能性が高いといわれる。さらに、首都の外郭城としては、北の北漢山城と南方の南漢山城が築かれた。
(西谷正)
以上、転載
*辞典解説文から漢字ピックアップ
熙
キ、ああ、たの(しむ)、ひか(る)、
ひろ(い)、やわ(らぐ)、よろこ(ぶ)
(意味)
楽しむ。喜ぶ。
光る。輝く。光が行き渡る。
広い。広まる。広く行き渡る。
やわらぐ。
ああ。感嘆の声。なげく声。
*マップは正宮の景福宮にピンを立てています
