梁山金鳥塚 りょうざんきんちょうづか
梁山金鳥塚
りょうざんきんちょうづか
Yangsan Geumjo-chong
韓国・慶尚南道梁山市北亭洞山702番地に所在する三国時代の古墳。梁山夫婦塚の西南斜面を20m下った場所で発見され、横口式石室墳内部から純金製の鳥足1組が発見され金鳥塚と命名された。墳丘は周辺に李朝(朝鮮)時代の民墓が築造される過程で大部分が破壊され、石室の蓋石が地上に一部露出するほど崩壊が進んでいたが、残りの地下の遺構と石室内部の遺物は、ほぼ原状のまま残存していた。石室は地山層を掘り込み、その内部に割石で築造された平面長方形の横口式石室で、長軸は南東〜北西方向であり入口は北西短壁全体を使用し、被葬者の頭位は南東方向である。床面の中間に小さな割石を1枚敷いて屍床台とし、両側の縁辺部に当たる短壁下の空間には高杯・長頸壺などの土器を副葬していた。重要な遺物は主に屍床台の上から出土したが、被葬者の頭部から金銅冠と金鳥足・青銅製鐎斗、左腕の部分で金製腕輪、腰の部分で銀製銙帯と純金製太鐶耳飾、そして屍床台の下からさらに純金製太鐶耳飾が出土するなど、多様で高級感のある遺物であった。遺構の性格と出土遺物の特徴から考えて、金鳥塚は5世紀末から6世紀初めに編年されるものと推定され、被葬者は新羅の慶州地域と密接な交流関係を有した人物であったと判断される。
(沈奉勤)
以上、転載
*辞典解説文から漢字ピックアップ
鐎
ショウ
鐎斗(しょうと)は、古代中国の鍋の一種で、炊飯や温酒などに用いられ、後に朝鮮半島や日本へも伝播した。注口が付いた円形の器に、三脚と長い柄が備わるのが通例
銙
カ
