梁山夫婦塚 りょうざんふうふづか

梁山夫婦塚
りょうざんふうふづか
Yangsan Bubu-chong

韓国・慶尚南道梁山市北亭洞山702番地に所在する三国時代の古墳。梁山市の東側に位置する城隍山頂上部から西側山麓に至る稜線上に、三国時代に築造された大小の古墳が密集して分布する梁山里古墳群がある。その中間に東〜西方向に入る渓谷を境界として、北側の北亭里古墳群と、南側の新基里古墳群に区分されている。夫婦塚は北側の北亭里古墳群に属する超大型墳で、1920年(大正9)に小川敬吉らにより最初の調査が行われ、石室内部に夫婦と思われる男女合葬の人骨が確認され、夫婦塚と命名された。1990年の東亜大学校博物館による再調査において、これまで横穴式として知られていた石室が、実際には横口式であることが確認された。

古墳は丘陵の稜線に沿って大型墳5基が東〜西方向に並んでおり、夫婦塚はその中で最も下の方に位置し、その周辺にも小型墳が密集している。墳丘は標高70m程度の地山層に直径20m、高さ5mの規模で類似版築状に築造された円墳であるが、盗掘により原状を保っていない。石室は稜線と同一方向である東〜西方向を長軸とする墓壙を地山層に掘り込み、その中に割石を利用して西側中央に入口を備えた横口式石室が築造されている。石室は7枚の大きな石を掛け渡して平坦な天井部を形成しており、東側に寄せて夫婦の屍床台が並んで設置されているが、北側の婦人は後世の追葬とされた。石室内部は全面に黄褐色の粘土を塗り、その上に漆喰をさらに塗装しており、入口側の空間には殉葬されたものと推定される人骨3体が横たえられていた。石室の長さ545㎝、幅225㎝、高さ280㎝で、入口の幅200㎝、高さ170㎝である。

出土遺物は「出」字形金銅冠・鳥翼形冠飾と冠帽・白樺樹皮製冠帽・金製耳飾、各種の腕輪と頸飾、銀製銙帯・銀製腰佩・金銅製飾履・金銅製鞍具・鉄製馬具類・三累環柄頭飾・鉄鋌などの金属製品と、長頸壺・円筒形器台・鉢形器台・高杯・赤褐色土器など、主に慶州地域の大型積石木槨墳で出土する内容と非常に類似した豊富で高級感のあるものである。この古墳の規模と地理的環境などを考慮すると、被葬者は5世紀中ごろ以降に、新羅の慶州地域との間で頻繁な交流を行った、在地政治勢力の首長クラスに相当する人物であったと推定される。

(沈奉勤)

以上、転載