勝本城跡 かつもとじょうあと
勝本城跡
かつもとじょうあと
長崎県壱岐市勝本町坂本触に所在し、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱〔1592〜98〕)における豊臣秀吉軍の渡海中継拠点の一つとして整備された山城跡。「武末城」「風本城」ともいう。天正19年(1591)9月から翌年にかけて、松浦鎮信ら西九州の諸大名と細川忠興・羽柴秀勝が担当し築城した。北に勝本港を見下ろす標高79mの半独立丘陵上に位置し、山頂の主郭とその周囲を一巡する帯曲輪によって構成される。単郭構造のシンプルな「縄張」ながら、主郭北側には2基の櫓台からなる完成度の高い「内桝形」虎口を備えており、豊臣期の石垣もよく残っている。
(宮武正登)
以上、転載
