原山支石墓群 はらやましせきぼぐん
原山支石墓群
はらやましせきぼぐん
長崎県南島原市(旧南高来郡)北有馬町原の尻川などにある縄文時代晩期の支石墓群。もと3群があり100基以上あったとされるが、2群60基が雲仙南麓の標高約250mの丘陵に現存する。人頭大の支石数個で上石を支える上部構造の下に、①方形に近い石棺墓、②楕円形石囲墓、③甕棺墓、④土壙墓などの埋葬施設を構築している。出土した刻目突帯文を持つ土器などから、縄文時代晩期終末(弥生時代早期)に位置づけられ、土器についた籾の圧痕などから稲作を伴った集団の墳墓と考えられる。遺物は極端に少なく、墳墓の配置や遺構の形状などに差異は認められないことから、階層未分化の段階の墳墓と考えられる。日本の支石墓は朝鮮半島南部に源流を持つとされているが、朝鮮半島のものに比して著しく小型で、下部構造にも差異が著しい。また対馬・壱岐島に全く支石墓が存在しないことなど、伝播経路についても疑問を残している。
(正林護)
以上、転載
