清岩洞土城跡 せいがんどうどじょうあと

清岩洞土城跡
せいがんどうどじょうあと
Cheongam-dong-toseong-ji

北朝鮮・ピョンヤン特別市大城区域清岩洞にある三国時代高句麗の土城跡。大同江右岸にあり、1920年代に入って関野貞らが地表調査を行っている。東西2.3㎞、南北0.9㎞の範囲で、西方から東南方にかけて、周囲約5㎞にわたって土築の城壁が見られた。城壁には西門・北門・東門の門跡がある。南側は大同江の河岸を自然の防御線としている。土城跡内には清岩洞廃寺跡があり、また東・西の2ヵ所に高句麗瓦が集中散布する。『三国史記』長寿王15年(427)の平壌移都の記事に関連づける説もあったが、むしろ東川王21年(247)の築造以後、故国原王4年(334)の増築に至る平壌城の可能性がある。

(西谷正)

以上、転載