クラスキノ土城跡 くらすきのどじょうあと

クラスキノ土城跡
くらすきのどじょうあと
Kraskino

ロシア・沿海州ハサンスキー地区、現在のロシア・中国・北朝鮮の国境地帯にある渤海時代の土城跡。『新唐書』に「‥‥‥龍原東南瀕海、日本道也。‥‥‥」とあり、本遺跡が東京龍原府の推定地八連城の東南に位置することから、渤海から海路日本へ向かう際の出発点であったと考えられている。土城はポシェット湾の奥にあるエクスペディツィア湾の海辺、かつてヤンチへ川と呼ばれた川の河口に位置している。東・西・南城壁にそれぞれ一つずつ甕城を持つ門があり、隅丸の不整台形の形をした南北380m、東西300mの土城である。発掘によって土城西北部から寺院跡と瓦窯・井戸跡・鍛冶炉跡などが検出されている。また、東城壁の南部には後代になって防御用の施設である馬面が城壁の外側に取り付けられていることが判明した。寺院跡には塀に囲まれた瓦葺の大型建物の基壇(この基壇上から仏像が発見されている)や塔跡とされる建物の基壇がある。城壁は土塁を芯として表面に割石を長手積みに積み上げて強化している。本遺跡の年代は渤海時代を中心としているが、この時代の土城には甕城を持つ門や馬面は珍しく、城壁の築造年代や甕城および馬面の取り付け時期についてはさらなる検討が必要である。

(清水信行)

以上、転載