ノイン・ウラ遺跡 のいん・うらいせき

ノイン・ウラ遺跡
のいん・うらいせき
Noin-ula site

モンゴル・中央アイマクに所在する匈奴時代の墳墓群。ウランバートルの北西約100㎞のノヨン山に位置する。墳墓群は、さらに谷ごとにスジクト、ジョラムト、ホヂルトの3支群に分かれ、全体で200基以上の墳墓が確認されている。1912年に金鉱採掘に伴う掘削により墳墓の存在が明らかになり、24・25年にコズロフ、27年にシムコフ、54・55年にドルジスレンが発掘調査を行い、30基ほどが発掘されている。

ノイン・ウラ遺跡の墳墓は墓道を付設し、全長が20mを超す墳丘を持つ大型墓と、全長が10m前後の一般墓に分けられる。両者は各支群内でも混在して群集しているが、さらに大型墓の集中する群、一般墓が主体となる群というように細分できる。大型墓の主体部には、24号墓など、墳丘下に深く掘った墓壙内に二重の木槨を板材や丸太で組み上げ、内部に板材を組み合わせた木棺を安置した例がある。木槨・木棺の構造は漢墓のそれに類似し、その影響を受けたものと考えられる。墳丘は、墓室上部が高さ1m程度の方形を呈し、墓道上にも細長く盛土が置かれるため、全体は前方後方形を呈する。墳丘裾には、土留め状に立石がめぐるものがある。一般墓は、墓壙内に小規模な木槨・木棺を置くものが多く、その上に円形・楕円形・方形の低い石積みが置かれる。

大型墓の出土品には、土器・フェルト製品・動物文様金具などの現地製品とともに、絹製品・漆器・鏡・銅器などの中国製品が豊富であることが特徴である。漆器には漢の官営工房で製作されたことを示す銘文を持つものもある。ノイン・ウラ遺跡の墓は、出土した中国製品などから見て、すべて紀元前後ごろに築造されたものである。当時の匈奴単于氏族の墓地と考えられ、当時の遊牧文化の内容を示すとともに、漢と匈奴の関係、絹製品を中心とした交易の様子を示す資料である。

(臼杵勲)

以上、転載