湖熟文化 こじゅくぶんか

湖熟文化
こじゅくぶんか
Hushu wenhua

中国・長江下流域すなわち南京から鎮江に至る寧鎮地区の青銅器文化。1951年江蘇省江寧湖熟鎮における発見を契機に、周囲に同類の文化遺跡が約160ヵ所確認されるようになり、59年に湖塾文化と命名された。当初、主に江蘇、安徽省内の長江沿岸地区の新石器時代末期から青銅器時代の文化とし、その下限は戦国時代を含んでいた。その後、北陰陽営遺跡や点将台遺跡の層序関係によって、新石器時代の文化層の上に堆積することが判明し、その上限は押さえられた。下限については、商〜西周時代に相当すると考えられているが、寧鎮地区においての多数の土墩墓が確認され、時期編年が進む中、西周前期以降の土墩墓をもつ文化について湖熟文化と区別し、呉越文化として捉えられるようにもなった。

湖熟文化の多くの遺跡は台形遺跡と呼ばれるように、河川や湖沼沿岸にある高台や丘陵上に立地する。主な遺物としては、鬲や甗などの土器、片刃石斧・半月形石包丁・石鎌・石鏃などの石器、ほかに卜骨・卜甲などが挙げられる。青銅器を鋳造する技術も見られるが、鋳造されたものは小型の青銅工具を主とする。初期には二里崗文化に由来する要素が多く認められるが、殷墟文化期以降になると中原からの影響が薄れる。このような中原の青銅器文化(殷系文化)の波及と在地系文化の関わりは、印紋陶を代表とする中国東南部の先史文化の地域性や変遷過程を知る上で注目される。同時期、太湖地区では上海馬橋遺跡を標準遺跡とする馬橋文化が設定されているが、湖熟文化には煮沸土器として鬲を伴うのに対して、馬橋文化は鼎が主体であるなど差異も認められる。

(後藤雅彦)

以上、転載

 

 

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カク、レキ、かなえ
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