林堂洞遺跡 りんどうどういせき
林堂洞遺跡
りんどうどういせき
Imdang-dong-yujeok
韓国・慶尚北道慶山市林堂洞・造永洞一帯の丘陵上に分布する複合遺跡。原三国(三韓)時代〜三国時代・李朝(朝鮮)時代の墳墓、原三国時代の環壕集落、三国時代の土城からなる。1982〜98年までに、嶺南大学校・韓国文化財保護財団・嶺南文化財研究院などによって、数次にわたる発掘調査が行われた。墳墓は木棺墓・木槨墓・積石木槨墓・岩壙木槨墓・竪穴式石槨墓・横口式石室墓・横穴式石室墓・甕棺墓など、長期にわたる多様な墓制が確認されている。このうちBC1世紀代の木棺墓からは、鉄剣・鉄矛・板状鉄斧などの多数の鉄器とともに、五銖銭や前漢鏡の再加工品が出土しており、楽浪郡との交渉を示している。4世紀後半〜6世紀前半代には、大型墳丘を持つ古墳が築造され、「昌」字形に主槨と副槨を配置した埋葬主体部を持つ。副葬品には金銅製冠・金製耳飾、銀・金銅製銙帯などの装身具類、環頭大刀や鉄矛などの武器類、農工具類・馬具類、多種多様な土器類がある。林堂洞古墳群は、古墳の規模、副葬品の量と質から見て慶山地域を代表する古墳群であり、新羅の影響が強く現れている。
(高久健二)
以上、転載
