形象埴輪 けいしょうはにわ
形象埴輪
けいしょうはにわ
形象埴輪には人物埴輪・家形埴輪・器財埴輪・動物形埴輪・舟形埴輪がある。舟形埴輪の数は少ないが、その他の形象埴輪は多種多様である。埴輪の使用は4世紀後半以降長期にわたるが、6世紀末には全国的に終焉に向かう。これは前方後円墳の築造終了とほぼ一致している。人物埴輪は男性・女性ともに見られ、その表現から当時の服装や風俗なども推定することができる。男性埴輪には甲冑をつけた武人埴輪・盾持人・力士・馬丁・椅子にかける人・楽器を奏でる人・踊る人などがある。女性のそれには巫女と考えられるものが多く、楽器を弾く人、踊る人などがある。人物埴輪の出現は5世紀前半で、初期には巫女を中心とし、造出しや外堤に配置される。6世紀中葉以降、とくに関東地方で盛んに用いられ、墳丘中段に配置する例も見られる。人物埴輪群があらわすものとして、葬列の再現、首長権継承儀礼、祭祀を執り行った人々を再現したなどの説がある。
家形埴輪は住居や倉庫などをかたどったもので、形象埴輪の中ではもっとも早く出現し、存続期間も長い。多くが掘立柱建物を表現したもので、屋根は基本的に入母屋造・寄棟造・切妻造のものが見られる。最古の家形埴輪は4世紀中頃に出現する。家形埴輪は初期の段階は墳頂部の方形区画内に配置されるが、5世紀代になると方形区画の外側や造出し部にも配置するようになる。さらに6世紀代になると、人物埴輪とともに墳丘中段や裾部にも置かれるようになる。その意義については、被葬者の生前の居館を写し霊の依代としたという説や、殯や大嘗祭の施設と見る説などがある。器財埴輪は武器・武具・威儀具などをかたどったもので、蓋・盾・甲冑・靫などがある。4世紀後半から見られるようになり、当初は墳頂に配置され、聖域の威儀を高めたり守護する意味合いが推定されるが、やがて墳丘の装飾的用途としての性格を強めていく。動物埴輪にはニワトリ・水鳥・ウマ・イヌ・シカ・イノシシなどがある。鶏形埴輪の登場がもっとも早く、4世紀中頃の年代が与えられる。5世紀前半にはウマ・イヌ・イノシシなどが出現する。ウマは馬具を着装したものが一般的である。供献物の表現、もしくは古墳祭祀や葬送儀礼の一部を表すものと見られる。
(大西智和)
以上、転載
