殉葬 じゅんそう
殉葬
じゅんそう
死者の埋葬に際し、自殺もしくは強制的に殺された者が近接した場所に葬られること。馬もそのなかに含めることが多い。殉葬は世界各地で認められ、朝鮮半島の三国時代の加耶の古墳でも、慶尚北道高霊池山洞44号墳などで、円墳中央に竪穴式石室を設け、周囲を10〜30基の小石室・石棺で囲んでいるのが知られている。日本では、考古学的には人の殉葬の明確な物証は得られていない。一方、千葉県大作遺跡などで、意図的に斬首されたと思われる馬埋葬坑が確認されており、これを殉葬の証拠と見なすことも多い。文献には「魏志倭人伝」に卑弥呼の「葬に徇う者、奴婢百余人」とあり、『日本書紀』垂仁天皇28年11月条には、倭彦命の死とその近習者の殉死に関わる伝承、同32年7月条に殉死と埴輪起源に結びつく説話が記されている。いわゆる大化薄葬令(大化2年〔646〕3月)に人馬の殉死などの旧俗を禁止する記載があり、また大化5年3月条に、蘇我倉山田麻呂大臣の死に際し妻子が殉じる記事がある。卑弥呼や倭彦命にかかわる殉葬と大化年間の2例では、その意味が異なっていることには注意すべきであろう。
(福尾正彦)
以上、転載
