積石塚〔朝鮮〕 つみいしづか〔ちょうせん〕
積石塚〔朝鮮〕
つみいしづか〔ちょうせん〕
石を積み上げて墓室を覆ったもので、ケルン cairn ともいう。朝鮮半島では、無文土器(青銅器)時代に、支石墓・箱式石棺・竪穴式石室などの埋葬施設を補強するために、その周囲に積石を行い、しかもそれらが数基密集して築かれた結果、積石による墓域を形成するような例がある。本格的な積石塚は、「魏志高句麗伝」に「石を積んで墳丘を作り」とあるように、三国時代高句麗の前・中期に特徴的に見られる。いずれも方墳であって、鴨緑江とその支流の流域一帯で自然発生的に出現し、数多く分布するようになった。初期の積石塚は、一辺数mの小規模なものが、1ヵ所に多数集中している。最盛期には墳丘の裾に基壇を設けたり、墳丘を段築するものが出現するが、その数は多くない。終末期にはさらに数は減少し、中国・吉林省集安市の将軍塚のように、切石積み7段築成のピラミッド形の壮大なものが出現する。百済でも初期に、高句麗の影響下で、たとえばソウル特別市の石村洞4号墳のように基底部の一辺が10数m、扁平な割石積みの3段築成のものが築かれている。新羅の古墳でも、封土下に木槨を覆う積石を見る場合がある。
(西谷正)
以上、転載
