恭慇王陵 きょうみんおうりょう

恭慇王陵
きょうみんおうりょう
Gongminwang-neung

北朝鮮・開城市開豊郡にある高麗時代末期の恭慇王(1374年没)と同王妃の陵墓。1916年(大正5)に朝鮮総督府が調査した。14世紀後半に、恭慇王は亡妃と自身のため生前に築造したが、それぞれ玄陵・正陵と呼ばれる。王陵は、鳳鳴山より南に延びる丘陵の中腹にあって南面する。丘陵は陵墓の左右に突出するので、三方が小丘陵に包まれたような景観を示す。西側にある王の玄陵は、東側にある王妃の正陵とはわずかに約65㎝の間隔を置いて並存する。このように、玄陵は正陵と同じ墓域にあって双陵の形式をなすが、墓域は平面長方形の3段築成になっている。最高所の第3段には直径約14m、高さ約6.6mの円墳が2基並び、それぞれの裾には、花崗岩を用いた護石を12角形にめぐらす。護石に平行して、その周囲に石欄干がある。陵墓の四囲には、石虎と石羊が2基ずつあり、前方には中央に石床、南西には望柱石が立つ。第2段には、石階段とその前方に石燈篭がある。最下段の第1段と第2段の西側に偏って、武官と文官の石人がそれぞれ2体ずつ立ち、東側の正陵のそれらと対照をなす形で向かい合っている。戦後になって円墳の内部が発掘されたところ、横穴式石室であることと、玄室の壁面に頭部に十二支神像を表現した12人の人物像が描かれていることがわかった。そして1956年に現在のように復元、整備された。なお、正陵用と思われる「正陵」銘のある象嵌青磁碗が、福岡県の大宰府史跡の観世音寺僧坊跡で出土している。

(西谷正)

以上、転載

 

壁画古墳〔朝鮮〕は こちら