飴壺 あめつぼ

飴壺
あめつぼ

江戸時代後期に小倉藩内で製造された、名物飴を入れる陶器製の壺。『小倉市誌』上巻には、江戸時代の豊前国小倉の名産として「三官飴」の記載があり、「三官は即ち三韓にして朝鮮人より製法を伝へたりといふ」とある。また、幕末の絵師村田応成が残した画集『豊国名所』に「三館飴」と題する絵があり、藁に巻かれた小壷が描かれているが、その形態が小倉城下町で出土する陶製小壺に酷似すること、さらに小倉藩士松井斌二が小倉城下町の様子を詳しく記した『龍吟成夢』に「‥‥‥此処ニテ清水焼ノ陶器ヲ製造ス, 小倉産物ノ三官飴ノ壺ヲ製造ス‥‥‥」とあり、豊前国の国焼である上野焼の分窯とされる小倉清水焼で飴壺を製造したという記載があること、そして小倉清水焼の操業期間と、発掘遺物の年代観が合致することなどから、この陶製小壺が小倉の名物飴を入れる容器であることが判明した。『細川藩日帳』には寛永4・5年(1627・28)に「三官」「二官」「唐人大官」「唐人二官」などの人物が登場するが、「唐人」とは当時朝鮮半島からきた焼物師を指していることから、飴の製造に半島系の人々が関わっていたことは疑いない。小倉城下町関連の発掘調査では、2006年(平成18)現在、300個体以上の飴壺が出土しており、『小倉名物の飴』と複数の文献が記すように、山形・京都・大阪・姫路・福岡・中津・久留米・長崎の各都市の調査でも見つかっている。

(佐藤浩司)

以上、転載