唐三彩 とうさんさい
唐三彩
とうさんさい
中国・唐代に成熟した鉛釉を用いた多色釉陶器の総称。7世紀中頃前後に出現し、最盛期は7世紀末から8世紀初頭の初唐・盛唐代で、安史の乱(755)以降衰退する。2004年現在、唐三彩の窯は河南省鞏義市・黄冶窯、河北省内丘県邢州窯、陝西省耀州(黄堡)窯、西安市醴泉坊窯、山西省渾源窯、四川省邛窯(→邛崍窯)の6ヵ所で確認され、江南の揚州唐城内でも三彩の作房跡と見られる遺構が報告されている。三彩は白・緑・黄(橙または褐)色の3色を指すが、コバルトによる藍色(青)を加えた4色のものや、白・緑または白・青の2色のものも含めて三彩と呼ぶ。白地と藍釉との二色のものは、特に藍彩という。日本では2色のものを二彩釉と呼ぶこともある。なお、五彩の用語は日本では色絵・上絵付を指し、釉上の多色彩(2色・3色を含む)として用いる。器形は万年壺・鳳首瓶・盤・碗・杯などのほか、人物・鎮墓獣・馬・ラクダなどの各種の俑があり、造形技法も型による成形・印花・貼花・絞胎など多様である。
唐代の都であった長安・洛陽の貴族の墳墓からの出土が多く、厚葬の風習の高まりとともに、明器として盛んに製作された。中唐以前の三彩は、貿易品としての性格は薄く、日本では遣唐使や乗船員などが個別的に搬入したものとされる。晩唐から五代にも少数生産されるが、碗・皿(盤)・枕などの薄手で実用的な器種が主となる。スリランカのマンタイ遺跡、タイのコーカオ島・ポー岬遺跡(いずれも貿易基地)、日本では平安京跡や大宰府史跡、福岡市鴻臚館跡などにこの時期の例があり、越州青磁・長沙磁などとともに出土し初期貿易陶磁の一つと位置づけられる。以後、北宋・金代以降にも三彩はわずかながら製作が継承され、宋三彩・元三彩・明代の法花・素三彩・交趾三彩へと展開した。また、唐三彩の影響は渤海三彩・新羅三彩・奈良三彩・イスラム三彩に及んだ。
(山本信夫)
以上、転載
