奈良三彩 ならさんさい

奈良三彩
ならさんさい

奈良時代に唐三彩の影響を受けて日本で焼造された三彩の鉛釉陶器の総称。奈良・正倉院伝世品57件に代表される。奈良県山辺郡都祁村・小治田安万呂墓からは、神亀6年(729)墓誌に伴い三彩壺が出土しており、720年代には焼造が開始されていたことが知られ、8世紀初めに生産はさかのぼる可能性がある。器種は壺・瓶・鉢・盤・碗・鉄鉢・火舎・塔・合子・硯および瓦塼などがある。奈良三彩に唐三彩の器形を写したものはなく、中国式の金属器あるいは奈良時代の須恵器・土師器の器形を用いる。さらに唐三彩の手法である型押しによる施文、型抜きによる器の成形、藍釉の使用、蝋抜きによる施釉法、化粧土の使用などは奈良三彩にはない。唐三彩の釉薬色彩技法のみを移入したのが奈良三彩ということができる。奈良三彩は北海道と東北北部を除いてほぼ全国に分布している。

用途は出土遺跡から見て、国家や貴族による仏事、祭事における使用が中心である。ただし、地方によっては小壺などは住居集落にも多いとされ、下位層の使用も指摘されるが、地方の公的祭事の実態を示すものと解釈できる。中央における仏・祭事使用具の頂点を(唐三彩を除外した場合)奈良三彩や金属器と見れば、地方では奈良三彩と同形の須恵器・土師器を代替具とした例もある。奈良三彩の窯は定かではないが、中央の小規模な官営工房における限定生産品であり、平城京内かその近傍と考えられる。平安時代初期には京都市・栗栖野窯で三彩(二彩)片が出土しているが、平安時代には衰退し、緑釉単彩がこれに替わる。

(山本信夫)

以上、転載