博山香爐 はくざんこうろ
博山香爐
はくざんこうろ
香爐の一種で「博山爐」ともいう。中国の漢代には薫爐と呼ばれ、遺物に刻まれた銘文には錯盧・薫爐・燻爐などとある。長沙馬王堆1号墓出土香爐には、ともに出土した遣策に「薫盧」とあるので、当時はこのように呼ばれていたことがわかる。形態的には、山形にとがった蓋、豆形の火袋を支柱が受け、下に承盤がある。博山とは山の名ではなく文様の名称で、博山爐の山形の蓋は、平面的な山岳文を立体化させたものといわれる。蓋の山岳には禽獣が施されることが多く、頂部には鳳凰などをかたどった鈕がつくものもあり、柄にはしばしば神仙が表される。材質は青銅製や陶製のものが一般的で、山形の壺は蓬莱山をかたどり、承盤は大海にたとえられる。使用方法は、承盤に湯をたたえ、その湯気で香を室内に立ち込めるようにしたもので、博山爐から出てくる香煙は、蓬莱山から立ちのぼる雲霧という。
博山爐は、香爐として戦国時代には出現しており、漢代の例では、洛陽焼溝漢墓と広州漢墓を比べると北方より南方で流行している。薫爐の古い形式のものが湖南省や広東省のように湿気が多く衣服や器物のいたみやすい地域からの発見例が多いことから、虫害を防ぐため香草を薫ずる目的で用いられたと考えられる。魏晋南北朝時代には博山爐以外の薫爐も多く、しばしば仏前で香を焚く仏具として使用されている。漢代以降の出土例は多いが、薫爐が儒教的な葬礼規範の中に組み込まれたのは西晋になってからである。香爐は、日本では居香爐・柄香爐・釣香爐に分類しているが、博山爐は居香爐の一種で、これをもとに蓮華香爐や金山寺香爐などが成立したといわれる。
(原田三壽)
以上、転載
