粉青沙器 ふんせいさき

粉青沙器
ふんせいさき

朝鮮半島で15〜16世紀に焼造された白土装飾を施す炻器。日本では「三島」とも呼ばれる。1950年代に高裕燮が「粉粧灰青砂器」と命名し、現在はその略称の「粉青沙器」が一般化している。15世紀初頭には14世紀後半の象嵌青磁の後をついで線象嵌青磁が存続するが、これを線象嵌粉青とも呼ぶ。1420〜60年代には広い面積を象嵌する「画象嵌粉青」、スタンプで文様を施す「印花粉青(暦手)」、白土を塗り文様の背景となる部分を削り去る「掻落粉青」が登場する。印花粉青には「長興庫」などの官庁銘が記され、王室や官庁用とされた。このほか白化粧を施さず、透明釉をかけて灰色や褐色の胎土色をそのままとする「灰青沙器(蕎茶碗などがこの系統)」もあり、粉青沙器が消滅するまで作られた。1460年代〜16世紀前半にかけて、粉青は民需が主体となり、刷毛で白土を施す「刷毛目粉青」、白土を塗って文様を線彫する「線刻粉青」、白土を塗って鉄絵具で文様を描く「鉄絵粉青」へと変容をとげた。鉄絵粉青は鶏龍山麓窯跡群で焼かれた。16世紀後半、地方窯の多くが白磁へ移行をとげるなか、白磁の代用品として、白土液に器を浸して白一色とする「粉引粉青」が作られた。この粉引に鉄絵具で文様を描く「絵粉引粉青」もあるが、韓国では「鉄絵粉青」に含めている。16世紀末頃には白磁の流行によって粉青沙器は消滅するが、日本では高麗茶碗や茶陶として今日にまで伝世し、萩など近世諸窯でも模倣品が作られた。

(片山まび)

以上、転載