屈家嶺文化 くっかれいぶんか

屈家嶺文化
くっかれいぶんか
Qujialing wenhua

中国・湖北省京山県屈家嶺遺跡を標準とし、主に湖北省一帯に分布する新石器文化。1954年の発見以来、多くの遺跡が調査された。省内の主な遺跡として、鄖県青龍泉・大寺、京山県朱家嘴、江陵県毛家山、天門県石家河、宜都県紅花套、松滋県桂花樹、武昌県放鷹台などがある。その分布範囲は、東は黄岡・鄂城以西、西は四川省巫山大渓遺跡、北は河南省西南部に達しており、浙川県下王崗・下集・黄棟樹、唐河県寨茨崗などが主要な遺跡である。南は湖南省澧県夢渓三元宮遺跡に至る。青龍泉と大寺遺跡の発掘で仰韶・屈家嶺・龍山の3種類の文化層の堆積関係から、屈家嶺文化が仰韶文化より遅く、龍山文化に先行することがわかった。そして三元宮・紅花套と桂花樹遺跡の文化層の上下関係から、屈家嶺文化が大渓文化より遅く、また鄂西南と湘北地域で両文化の分布が一部重なるだけでなく、石器や卵殻彩陶・鼎など一部の土器、篦描き点文のある陶球などに類似する遺物があり、屈家嶺文化が大渓文化の影響を受けて発展したものであることを示している。

この文化は前・後2期に分かれ、前期は黒陶を主とし、これに灰陶が次ぎ、卵殻彩陶や朱彩黒陶もある。後期は灰陶が主で黒陶がこれに次ぐ。彩陶の紡錘車が多く見られるのもこの文化の特色である。後期のC14年代はBC2875〜2635年を示している。また、屈家嶺文化の人々はすでに水稲耕作を行っており、屈家嶺・放鷹台・朱家嘴・青龍泉・黄棟樹遺跡でジャポニカ種の米が出土し、イヌやブタを家畜としていた。住居跡は屈家嶺・青龍泉・黄棟樹・下王崗・寨茨崗遺跡に見られ、いずれも方形・長方形の地上建築で、室内を土壁で仕切り、2室式の家屋を形成している。石家河遺跡で初めて新石器時代のかなり大規模な城郭と見なしうる土築囲壁遺構が発見された。水稲栽培による生産力の増大と地域間交流によって集落形成が急速に進行したものと思われる。

(横田禎昭)

以上、転載

 

 

*辞典解説文より漢字ピックアップ


ウン


ヘイ、かんざし、すきぐし、の、へら