擦文時代・文化 さつもんじだい・ぶんか

擦文時代・文化
さつもんじだい・ぶんか

北海道において7世紀ごろ、東北地方の土師器から強い影響を受けて成立した擦文式土器を基本として設定された時代・文化。北海道南部では11世紀ごろには終末を迎えるが、北海道東部・北部では12世紀ごろまで存続した。青森県下でも遺跡あたり出土点数は少ないが、多くの遺跡から発見されている。生活様式全般にわたって本州からの影響が認められ、竃付き方形竪穴住居が一般的であり、紡錘車も知られる。また石狩川中流域には「北海道式古墳」とされるマウンドを持った墓が作られた。多くの鉄器が本州からもたらされたが、小鍛冶も行われた。基本的には狩猟採集経済の段階であったが、一部ではアワ・ヒエ類の栽培も行われた。さらに本州との交易活動が重要な意味を持った。その後期、オホーツク海岸部では、北見市の常呂栄浦第二遺跡のように1000基以上の竪穴住居からなる集落跡が発見されている。近世になると知られるアイヌ文化との間には、多くの相違も認められるが、アイヌ民族史の一段落をなすことは確かである。

(山浦清)

以上、転載