斉家文化 せいかぶんか

斉家文化
せいかぶんか
Qijia wenhua

中国・黄河上流域の新石器時代後期から青銅器時代初期の文化で、甘粛省広河県斉家坪遺跡を標準とする。斉家坪は洮河西岸に位置し、河床から約100mの馬蘭段上にある住居跡である。1924年J.G.アンダーソンが調査し、甘粛六期編年の最古段階に置いたが、1945年夏鼐が陽窪湾遺跡の斉家文化の墓の調査で馬家窪文化より新しく、その年代もBC2000年をそれほどさかのぼらないと指摘したが、その後、瓦家坪遺跡や天水県西山坪遺跡の発掘で馬家窯文化の上に斉家文化が重なる層位関係が確認され、またC14年代の測定結果からも、その主張が正しかったことを裏づけている。

斉家文化の分布範囲は広大で、東は渭水・涇水・西漢水上流、西は湟水流域と河西回廊の武威にまで達するが、それ以西には及んでいない。南は白龍江流域、北は寧夏と内蒙古阿拉善左旗付近に至る合計350ヵ所に及ぶ。調査された主な遺跡は、甘粛省では武威県皇娘娘台、永靖県大何荘・秦魏家・張家嘴・姫家川、蘭州市青崗岔など、青海省では貴南県尕馬台、大通県上孫家、楽都県柳湾など、寧夏では固原県海家湾遺跡がある。住居跡の多くは方形ないし長方形の半地下式の建物で、床はたいてい漆喰で固めた白灰面で中央に炉がある。また円形や方形・袋形の貯蔵穴が住居の周囲に密集している。墓は800基以上が調査され、竪穴土壙墓が主であるが、柳湾遺跡には木棺墓がある。単独墓と合葬があり、また屈葬と俯身葬もあるが、大多数は仰臥伸展葬である。一般的に墓地は比較的整然と配列されているが、その規模や副葬品の種類と数量は遺跡によっても、また地域によっても顕著な差が見られる。土器の特徴は平底の土器が主流で三足器は少ない。双大耳罐・双耳高頸罐・単耳罐・広口罐と彩陶などがある。かつて、この文化の典型的土器とされたアンフォラ型の双大耳罐や鬲は比較的少ない。斉家文化の住居跡と墓から刀子・鑿・錐・銅渣・斧・鏡などの鍛造や鋳造の銅器が発見されている。その多くは純銅であるが、秦魏家遺跡では鉛青銅・鉛錫青銅のものがある。特に、尕馬台の錫青銅の鏡の文様は安陽殷墟の婦好墓の銅鏡の文様と類似性がある。アワ栽培の農耕が主であったが牧畜も盛んでイヌ・ブタ・ヒツジ・ウシ・ウマ・ロバが飼育された。また卜骨やストン・サークルも発見され、一種の宗教祭祀活動が行われた。

斉家文化の起源は不明であるが、近隣の客省荘第二期文化を代表する陝西龍山文化に類似しており、東の陝西龍山文化が西に伝わる過程で甘粛仰韶文化馬廠類型などの影響下に形成されたものと考えられる。

(横田禎昭)

以上、転載

 

 

*辞典解説文より漢字ピックアップ


カン、かま
意味:おけ。水を汲み上げる器


カク、レキ、かなえ


サク、うが(つ)、のみ