大坌坑文化 だいふんこうぶんか

大坌坑文化
だいふんこうぶんか
Dabenkeng wenhua

台湾のほぼ7000〜5000年前と推定される台湾新石器時代における最古の文化。台北県の北西部の山麓に立地する大坌坑遺跡の下層から初めて発見され、その後、高雄県の鳳鼻頭遺跡や台南県の八甲遺跡などでも確認されている。さらに従来、台湾の西海岸にのみ分布していると考えられていたが、最近では、東海岸にも類似する要素があるという。仮にそうであるとすると、台湾におけるすべての海岸平野に存在していたとも考えられる。土器は甕と鉢の器形を中心に、表面が赤褐色で、常に叩きによる縄蓆文が見られる。また貝文も一つの特徴として注目される。口縁部について、一周の稜を持つ形式が見られるほか、平行波状文も顕著である。石器の数は比較的少ないが、打製石斧・磨製石斧・片刃石斧・石錘・叩石・石鏃などが発見されている。また、樹皮布を製作する叩き棒は、太平洋民族が今なお使っている道具として関心を集めている。

大坌坑文化の生業形態は海の資源と深くかかわるが、原始的な農業を行っていた可能性もあるといわれている。張光直は大坌坑文化が台湾のみならず、福建や広東などの中国大陸東南沿岸地域にも分布していたと考えた。さらに、それを古代オーストロネシア民族文化の起源地と見なし、民族移動の歴史を多角的に探究して、多くの業績を残した。しかし一方では、遺物形態の視点から氏の説に反対する意見もしばしば提起されている。いずれにせよ、研究によい刺激を与えており、より一歩進めた研究成果が期待できる。

(陳有貝)

以上、転載