星山洞古墳群 せいざんどうこふんぐん

星山洞古墳群
せいざんどうこふんぐん
Seongsan-dong-gobungun

韓国・慶尚北道星州郡星州邑星山洞905-1に所在する三国時代加耶の古墳群。星州は、星山加耶あるいは碧珍加耶の故地として知られる。星山洞古墳群は星山加耶の中心的な古墳群で、星山から延びる北側および西側稜線に形成されている。1918年(大正7)に濱田耕作・梅原末治が1・2・6号墳の発掘調査を行い、遺物が多量に出土した。1986・87年には啓明大学校博物館が38・39・57・58・59号墳を発掘調査し、900余点にのぼる多量の遺物を検出している。調査された古墳は直径が10〜20mの円形封土墳で、中・大型に属するものである。その中でも58号墳は、その他の古墳と違って傾斜面の上方に護石をめぐらしている。埋葬施設中央から10列の石列を放射状に並べていることから、墳丘築造に当たって事前に設計が行われたことがわかる。

埋葬施設は主・副槨式竪穴式石室墓で、墳丘中央に主槨を築造した後、長壁の横に副槨を配置する明字形である。壁体の構造は大型の板石を立てて、その間に割石を積み上げる方法で行われている。3基に同様の方法が認められるが、竪穴式石室墓としては非常に特異なものである。この築造方法は、竪穴系横口式石室である韓国の飛山洞37号墳や、日本のセスドノ古墳と類似するものである。出土遺物では副槨に多量の土器が副葬されていたが、主槨の副葬品は貧弱であった。本古墳群の築造年代の中心は、おおよそ5世紀中葉と推定できる。

(朴廣春)

以上、転載

 

「竪穴式石室墓としては非常に特異なものである。この築造方法は、竪穴系横口式石室である韓国の飛山洞37号墳や、日本のセスドノ古墳と類似する」

という部分にとても興味をひかれます。セスドノ古墳は福岡県田川市に残る大型円墳。石室内部を見ることはできませんが、出土品は石炭・歴史博物館に展示されています。(要確認)

田川とさらに奥、筑豊エリアには、決して有名で派手ではないけれど、とても面白い遺跡が多くあります。朝鮮半島との交流を伺わせるものばかり。玄界灘から遠賀川を遡り、さらにその支流を遡ったエリアです。

星山加耶は、加耶諸国の中でも最北エリアで未踏の地。世界遺産登録に向けてめざましく整備が進んで博物館もできています。早く行きたい遺跡の1つです。