昌寧桂城古墳群 しょうねいけいじょうこふんぐん

昌寧桂城古墳群
しょうねいけいじょうこふんぐん
Changnyeong Gyeseong-gobungun

韓国・慶尚南道昌寧郡舎里と明里一帯に所在し、霊鶯山から西側に延びた丘陵上に広く分布する三国時代の古墳群。1967年に文化財管理局の主管で発掘調査が行われた後、多数の機関により発掘調査されている。68年、嶺南大学博物館の調査において、もっとも早い時期である5世紀初頭の竪穴式石室墳が確認された。その後、道路工事に伴う76年の調査で約50基、94年には約75基、99年に約70基の古墳が調査されたが、大部分は6〜7世紀に該当する古墳であった。埋葬施設は大部分が竪穴系横口式石室墳で昌寧校洞古墳群と同じ墓制を採っている。

この中で大型墳に属するⅡ地区でも、もっとも高い位置に築造された1号墳は、直径が12mで護石がめぐらされていた。墳丘の築造方法において、埋葬施設を中心として黒褐色粘質土を使って放射状に12等分されており、その間に粘質が異なる土を詰めて、交代に突き固めている点も校洞古墳の築造方法と類似している。横口部は短壁上部の中央に設置されており、校洞古墳よりも発展した型式のものである。床面は数次にわたって改築され、追葬が行われていたことがわかる。出土遺物の中で太環耳飾と銀製釧・ガラス装飾小刀子は、その当時の工芸技術を知ることができる代表的なものである。そのほか「大干」の銘文が刻まれた土器が出土し注目される。この土器は、最初は官職名と解釈されたが、大型墳から出土しないことから、最近ではそれとは別の解釈が行われることもある。このように昌寧桂城古墳群は、6〜7世紀の昌寧地域の代表的な古墳群で、いつの時点で非火加耶が新羅に服属することとなったのかを考古学的に明らかにできる代表的な遺跡である。

(朴廣春)

以上、転載

 

*マップは昌寧郡桂城面のエリア