昌寧校洞古墳群 しょうねいこうどうこふんぐん
昌寧校洞古墳群
しょうねいこうどうこふんぐん
Changnyeong Gyodong-gobungun
韓国・慶尚南道昌寧郡昌寧邑校洞一帯に所在する5世紀を中心とする古墳群。1918年(大正7)に濱田耕作・梅原末治、18・19年に谷井済一により発掘調査が行われた。戦後では92年に東亜大学校博物館により、5基の古墳が発掘調査された。古墳はすべて竪穴系横口式石室墳である。墳丘の築造方法は、中央に設置された埋葬施設を中心として、黒褐色粘質土を使って放射状に区画し、その間に黄褐色粘土と褐色粘土・灰褐色粘質土を交互に突き固めた類似版築である。墳丘外郭には川原石と塊石を積み上げた護石が確認され、護石と外接して柱穴が1.5〜1.8m間隔で周囲をめぐらせて配置されている。
1号墳の石室は、全長7.1m、幅1.2m、高さ1.4mで地山層を掘り込んで構築されており、中央には全長2.8m、高さ14㎝の棺台が設置されている。横口部の前面には長さ7m、幅2.4mの墓道が続いており、石室の両長壁から1.2mほど続いて出ている側壁が前庭部を形成している。遺物は盗掘によってひどく破壊されていたものの、棺台の上部から大刀・銀製冠飾・銀製銙帯・心葉形帯金具などと武器類が無秩序に出土した。出土状況を考慮すると3体の殉葬者が安置されたものと推定される。
3号墳の石室は、全長7.2m、幅1.3m、高さ2.2mで、天井部は大型板石9枚を水平に渡して覆っている。横口部は1号墳と構造が異なる北側短壁の上部全体を利用している。短壁の床面から約1.2mまでは両側壁と一緒に築造し、その上部から天井石までを横口部とする典型的な初期竪穴系横口式石室墳である。墓道は両長壁から繋がる4〜5段の石列が墳丘護石まで長く続いている。石室の壁体は木柱で長方形の枠組みを組んで、ほぼ同じ間隔で6ヵ所に立て、その間に割石を横平積みして13〜14段ほど積み上げてあり、床面もやはり枠組みの間に塊石を充填している。遺物は台付長頸壺・有台埦・高坏・蓋杯とともに銀製冠飾をはじめ、短甲・挂甲・鉄鏃・*鐙・*轡・杏葉・*雲珠などが出土した。
校洞古墳群の発掘調査によって、横口部の構造と合わせてもっとも古い時期に相当する竪穴系横口式石室墳で有ることが判明した。特に昌寧校洞3号墳は、日本の初期竪穴系横口式石室の中でも代表的な佐賀県谷口古墳と、福岡市老司古墳と構造的に類似している点が多く認められる。
(朴廣春)
以上、転載
*辞典解説文より漢字ピックアップ
銙
カ
挂
カ、ケイ、か(ける)
鐙
トウ、あぶみ、たかつき
轡
ヒ、くつわ、たづな
鐙は こちら
轡は こちら
雲珠は こちら
