松鶴洞古墳群 しょうかくどうこふんぐん

松鶴洞古墳群
しょうかくどうこふんぐん
Songhak-dong-gobungun

韓国・慶尚南道固城郡松鶴里473-5番地一帯に所在する、三国時代の小加耶地域の古墳群。固城平野の南西側に位置する小丘陵の頂上とその周辺部を中心に大小10基以上の円墳が密集して分布している。その中で1号墳は外観が日本の前方後円墳と似ているという見解があり、一時期、日韓の考古学界で関心が持たれたこともある。1999〜2002年にかけ東亜大学校博物館により数次にわたる調査が行われ、1号墳が3基の大型円墳が南〜北方向に重複しつつ築造されたものであることが明らかになった。残りの古墳に関しても大部分が2基1組となって分布しており、周囲に周溝をめぐらせているなど、一般的な加耶地域の古墳との違いが認められる。

1号墳は、鳥居龍蔵によって日帝時代(戦前)に調査された古墳を再調査したものである。墳丘は独立丘陵の頂上部に南〜北方向に長く連なった形態であるが、周辺の田畑や野山から運んで来た黒褐色粘土と、赤褐色あるいは明黄褐色の山土を積み上げて類似版築状に墳丘を築いている。1号墳は、墳丘を築造した後に、墳丘頂上部に墓壙を掘り込んで、板石を利用した細長い竪穴式石槨墓11基を扇状に配置した南側のA号墳、羨道を西側短壁の中央に設置し、平面長方形の平坦な天井部を有した横穴式石室で、その内部を赤彩している北側のB号墳、両古墳の中央にあり、最後に築造されたものと推定され、西側短壁に入口を備えた横口式石室であるC号墳というように、構造と築造時期が互いに異なった古墳が重複して築かれている。それらの下部にはより先行すると判断される木槨墓が存在する。したがって、1号墳は長期間にわたって築造された古墳であると考えられる。出土遺物は台付長頸壺・有孔広口小壺・蓋杯などの土器と、挂甲・鉄斧・鉄鏃・鐙・杏葉などの鉄器、ガラス玉・勾玉などの装身具類が主であり、同じ遺構内部においても時期的な先後関係が認められることから追葬の可能性がある。

注目される点としては、古墳の築造技法において一般的な加耶地域とは異なり、先に墳丘を築いてから墳丘を掘り込んで石室を設置していること、11基の石槨が大型石槨を中心として。その周囲に追加して配置されていること、そして横穴式石室の内部を赤く彩色し、奥壁に木製の板を差し渡し、長壁の上段部には幔幕を掛けるための鉄釘を等間隔に打ち込んでいることなどが上げられる。出土遺物には在地系の小加耶系土器と、隣接する新羅・百済地域の土器、日本の須恵器が混在するなど、松鶴洞古墳群が築造された当時の社会性と国際性をうかがい知ることができる。

(沈奉謹)

以上、転載

 

 

*辞典解説文より漢字ピックアップ


カイ、ケイ、か(ける)


トウ、あぶみ、たかつき