福泉洞古墳群 ふくせんどうこふんぐん

福泉洞古墳群
ふくせんどうこふんぐん
Bogcheon-dong-gobungun

韓国・釜山広域市東莱区福泉洞に所在し、大砲山から西南に延びる標高60m前後の丘陵上、および斜面に造営された原三国時代から三国時代にかけての大古墳群。4〜5世紀は大型古墳が多く、釜山地域の支配階層の古墳群と注目される。1969〜72年に東亜大学校博物館が竪穴式石室墓10基を調査、80年以降、釜山大学校博物館と釜山広域市立博物館などが調査を継続的に行い、98年までで木棺墓9基、木槨墓75基、副槨付木槨墓17基、甕棺墓4基、副室付竪穴式石室墓8基、単独竪穴式石室・石槨墓55基、横口式石室墓1基の計169基を調査した。おそらく200基以上の墳墓が築造されていたものと思われる。これらの遺構は、木槨墓から竪穴式石室墓、そして横口式石室墓への変遷が確認されている。丘陵上に築造された古墳は大型で副槨・副室を持つものが多く、斜面に築造された古墳は小型が多い傾向にあり、丘陵の南から北に向かって時期が新しくなる傾向がある。

5世紀前葉の21号(土壙墓副槨)・22号(竪穴式石室主郭)墳では、22号石室内に木槨を設置し木棺を入れている。5世紀中葉の東亜大が発掘した1号墳は、長さ8.3m、幅1.4mの狭長な竪穴式石室で、100枚の鉄鋌が副葬されていた。同じく5世紀中葉の10号(土壙墓副槨)・11号(竪穴式石室主槨)墳は、朝鮮半島において初めて馬冑が検出された古墳で、蒙古鉢形冑も出土している。出土土器には、灰陶質(瓦質)土器・陶質土器・軟質土器があり、大型古墳では多量に出土する。4世紀代は金海系の無蓋無透孔高坏が主流であるが、5世紀に入ると上下交互透孔の新羅系高坏となる。それに咸安系や昌寧系の陶質土器が入り、布留系軟質土器などの倭系遺物も若干出土する。福泉洞古墳群は加耶史研究のみならず、新羅・高句麗・倭との対外関係史を究明する上でも重要な遺跡である。

(定森秀夫)

以上、転載