龍門石窟 りゅうもんせっくつ
龍門石窟
りゅうもんせっくつ
Longmen-shiku
中国・河南省洛陽市の南14㎞にある石窟寺院群。黄河の支流である伊水両岸の岩山に穿たれ、総数は2100窟を超える。石質は石灰岩である。石彫像は約10万躯、碑文や題記は3600を超え、仏塔は39基を数える。1899年にフランスのラングネ、1902年に日本の伊東忠太が訪れ、その後もフランスのシャヴァンヌ、日本の木村西崖・関野貞・常盤大定、中国の関百益などによる調査が続き、1936年、水野清一・長廣敏雄が詳細な調査を行った。造営は、北魏の太和18年(494)に孝文帝が都を洛陽に移した前後から始められた。北魏時代を代表する窟は、古陽洞・賓陽洞・蓮華洞などであり、石窟の型式や仏像の服制が中国式に改まっている。その後、宋代まで造営が続いたが、とりわけ初唐期には奉先寺洞・敬善寺洞・万佛洞など、盛んに造営が行われた。
(中野照男)
