鞏県石窟 きょうけんせっくつ

鞏県石窟
きょうけんせっくつ
Gongxian-shiku

中国・河南省鞏県の東北9㎞、洛陽の故城から東に40㎞の所にある石窟群。北魏時代は希玄寺、唐・宋時代は浄土寺、明時代は浄土禅寺、清時代以降は石窟寺と呼ばれている。洛水の北側、大力山の崖に掘られている。石質は砂岩である。石窟数は5窟、ほかに大摩崖仏が3体、千仏龕が1、造像龕が328ある。また多数の造像題記や刻銘がある。唐の龍朔年間(661〜663)に彫られた「後魏孝文帝故希玄寺之碑」によれば、北魏の孝文帝(471〜499)が希玄寺を建てたといい、唐代に彫られた「重建浄土寺碑」によれば、北魏の宣武帝の時(500〜515)に開鑿したという。これらによって、主要5窟の開鑿が北魏時代、5世紀末から6世紀前半に行われたことがわかる。石彫像の様式から判断して、鞏県石窟は雲岡石窟・龍門石窟に引き続いて造営されたと考えられる。

第1窟から第4窟までは方形の塔柱窟、第5窟は方形窟である。塔柱の各面や側壁には三尊仏や五尊仏・三世仏・千仏などが彫られ、基壇部に神王像や伎楽天などが彫られている。第1窟東壁第1龕に見られる維摩詰と文殊菩薩の問答の場面は、北魏時代の大乗仏教信仰を反映し、第1窟東壁第4龕の釈迦如来と多宝如来の並坐像は、法華経信仰に基づく造像である。また皇帝や皇后が礼仏する場面が多く見られる。鞏県石窟の石彫像のやさしい像容や、洗練された文様表現に南朝の造像の影響を見る説がある。

(中野照男)

以上、転載