ローラン(楼蘭)遺跡 ろーらんいせき

ローラン(楼蘭)遺跡
ろーらんいせき
Loran-yizhi

中国・新疆ウィグル自治区若羌県の県域の東北220㎞、ロブノールの西南28㎞、北緯40度29分55秒と東経89度55分22秒の交叉する地点に所在する。1900年のヘディンの調査以来、スタイン・橘瑞超の発掘調査を経、その後1980年代初頭に新疆ウィグル自治区社会科学院考古研究所、中国科学院新疆分院ロブノール総合科学考察隊によって調査が進められた。『史記』匈奴列伝の前漢文帝4年(BC176)に初めて「楼蘭」の名で現れ、カロシュティー文字では、クロライナと称されるオアシス都市の遺跡である。

古城は版築で築かれ、城壁の現高1〜4m、基底部の幅5〜8.50m、平面は方形を呈し、東壁333.50m、南壁329m、西壁と北壁が同じく327mを測る。四面それぞれには城門が確認され、甕城の構造も一部では確かめられている。城内は、貫流していた水路によって東北区と西南区の二つに分けられるが、平面八角形、現高10.4mの上部に塼を積んだ仏塔跡、また官衙や堡塁に当てられる建築跡、さらに多くの住居跡が発掘されている。城内からは漢字、カロシュティー文字で記した文書、五銖銭をはじめ絹・毛・綿織物・漆製品・木製品・瑪瑙器・ガラス器・珊瑚など多くの遺物が出土している。なお、出土した多くの木簡と紙文書に記された紀年のもっとも早い時期のものは、魏嘉平4年(252)、その下限は前涼建興18年(330)で、多くは270年前後に集中している。その記載内容は多岐にわたっているが、とりわけ魏晋時代に楼蘭に設置された西域長史や、その行政機構、開墾区域の農業生産、治水管理、生活全般に言及しているのは注目される。なお、従来より一部再検討の必要が指摘されてはいたが、同遺跡の出土とされていた前涼時代の西域長史李柏文書は、近年改めて疑義が提出されている。また、古城の東北4㎞に現高6.28mの仏塔跡、西北14.5㎞に寺院跡、同じく5.6㎞に烽燧跡が、さらに北5.2㎞には建築跡が確認されている。

(高橋学而)

以上、転載