カラ・ホージャ(哈拉和卓) から・ほーじゃ

カラ・ホージャ(哈拉和卓)
から・ほーじゃ
Karakhoja

中国・新疆ウィグル自治区トゥルファン(吐魯番)市の東南約30㎞の三堡郷にある遺跡群。「高昌故城」(The Ruins of Ancient Gaochang City)ともいう。後漢時代の高昌堡に始まり、5世紀半ばには北涼の首都となった。その後、麹氏高昌・唐・回鶻王朝の都城として9世紀後半まで栄えた。カラ・ホージャとは「荒廃した高昌」を意味する。ウイグル語でイディクト・シャリ(Idikut-shari)とも呼ばれる。1897年にロシアのD.A.クレメンツが調査し、その後、ドイツのグリュンヴェーデルとル・コック、日本の大谷探検隊、イギリスのスタイン、ロシアのオルデンブルグ、中国の黄文弼などが調査を行った。城壁に囲まれたほぼ1.58平方㎞の地域の中に、数十の日干しレンガでできた建築跡がある。永年にわたって都城がおかれたために、新旧の造営が錯綜している。内城の北部にある可汗堡は、不規則な楕円形を呈する建築群であり、宮殿跡と考えられる。

可汗堡の東南角に位置するM寺跡からは、承平3年(445)の北涼王沮渠安周の造寺功徳碑が発見され、このころにすでに北涼の都城があったことが知られる。寺院跡が多く残り、そのプランや建築意匠はかなり複雑である。発見された絵画は、早期にこそ中央アジア風のものもあるが、圧倒的に中国風のものが多い。マニ教寺院であるK寺跡からは、マニ教の経典や壁画が発見され、また城外にある景教寺院跡からも、景教を題材とする壁画が発見されている。二堡と呼ばれる地域は、アスターナ墳墓群と隣接しており、墳墓がある。1959年以来、新疆ウィグル自治区博物館が発掘調査を続けている。トゥルファンには、このほか前漢時代の車師前国以来の城邑として使われた交河故城(The Ruins of Ancient Jiaohe City ヤール・ホトとも呼ばれる)

(中野照男)

以上、転載