西夏興慶府城跡 せいかこうけいふじょうあと

西夏興慶府城跡
せいかこうけいふじょうあと
Xixia Xigqingfu-chengzhi

中国・寧夏回族自治区銀川市に所在する西夏時代の都城跡。赫連勃勃の飲汗城、唐代懐遠県城にその起源を持つ都城で、天禧4年(1020)に李徳名が宮殿を造営して都城に定め、明道2年(1033)李元昊が興慶府と称し、次いで西夏桓宗の天慶12年(1205)中興府と改められる。西夏興慶府城のプランは、基本的に明代寧夏城に踏襲されている。それについては、明代弘治年間『寧夏新志』、嘉靖年間『寧夏新志』に記載を見ることができる。現在まで、その外郭線についての調査は行われていないが、外周約18里強の方形プランを呈していたと推測されている。城門は南北各2門、東西各1門、城内は方格に区切られ、崇義坊など20余りの城坊が存したことが知られる。今後の精査が望まれる。

(高橋学而)

以上、転載