月精橋 げっせいきょうあと

月精橋
げっせいきょうあと
Woljeonggyo-ji

韓国・慶尚北道慶州市仁旺洞にあって、月城の南側を流れる南川(蚊川)に架かっていた三国時代新羅から統一新羅時代の橋脚遺跡。ここから上流に約800mさかのぼった所にも、日精橋の遺跡がある。『三国史記』新羅本紀では月浄橋・春陽橋と見えるが、李朝(朝鮮)時代に入って月精橋・日精橋と呼ばれるようになった。国立文化財研究所が1984〜87年に月精橋跡を、また最近になって日精橋跡を発掘調査した。その結果、南川と直交して南北方向に、中心距離約4.9mの等間隔を置いて8ヵ所の木橋の橋脚基礎部が検出された。その南・北外側に、さらにそれぞれ2ヵ所ずつの橋脚が想定されるが、すでに流出していた。橋の全長は約63mに復元推定される。南側護岸付近で、三国時代の新羅土器が多数出土したことから、木橋は統一新羅時代以前にさかのぼるとされる。この木橋跡の上流約19mの地点で、さらにもう一つの石造橋脚跡が精査された。

その結果、中心距離12.55mの等間隔を置いて4ヵ所の石造橋脚基礎部が検出された。一例をもっとも南側のもので見ると、橋脚の基礎は幅3.6〜3.8m、長さ12.7mを測るが、その上に橋脚の第1段目が遺存していた。その規模は高さ0.6〜0.65m、幅2.2〜2.8m、長さ13.6mで、橋脚基礎より0.9m長いものであった。橋の全長は約60.7mになる。橋脚基礎部周辺からは、多量の土器・陶磁器・瓦塼が採集されたが、三国時代新羅から高麗時代にまたがるものである。数少ない橋脚跡の調査例として重要である。

(西谷正)

以上、転載