慶州南山仏跡群 けいしゅうなんざんぶっせきぐん

慶州南山仏跡群
けいしゅうなんざんぶっせきぐん
Gyeongju Namsan-buljeokgun

韓国・慶尚北道慶州市に所在する。南山は新羅の首都であった慶州市の市街地の南側に位置し、南北8㎞、東西4㎞の山である。南山は北の金鰲山(471m)、南の高位山(495m)を頂上とし、50の渓谷を刻むが、その大半の渓谷に仏跡を有する。全山で寺跡150、石仏110、石塔100余りが確認された。これらの仏跡に南山新城・鮑石亭などを含めて、南山は「慶州歴史地域」の一つとして、世界文化遺産に指定されている。多くの寺が斜面に作られ、石築台を築いて寺地としたから、石築台や瓦片などの散布から寺跡と確認された。瓦片や陶磁器片は、三国時代新羅・統一新羅・高麗・李朝(朝鮮)時代と、各年代にわたる。寺名が伝わるのはわずかで、渓谷ごとに入口から奥に向かって、番号を付す。石仏では、禅房寺跡三尊仏、三花嶺弥勒三尊仏(国立慶州博物館)は、三国時代新羅の大型丸彫像で貴重である。統一新羅時代では、七佛庵磨崖三尊仏と四方仏、塔谷彫像群(三国時代新羅を含む)、三陵渓2寺の線刻三尊仏(2組)のような優れた磨崖彫像群が作られた。三陵渓1寺如来坐像、三陵渓7寺薬師如来坐像(国立中央博物館)、弥勒谷如来坐像は、石窟庵本尊仏に次ぐ新羅盛期の像である。新羅末には、三陵渓8寺(上禅庵)磨崖大仏、薬水渓3寺磨崖大仏のような巨像が作られた。

南山の石塔は多くが3重であるが、鮑石渓上室寺跡石塔や鮑石渓ヌンビ峰寺跡石塔は5重であった。新羅の石塔は2段の基壇が通例であるが、茸長寺跡石塔や天龍寺跡石塔は1段だけの基壇で、南山の自然の岩盤を下成基壇に見立てている。また、南山里西塔と茸長渓17寺石塔は、塊状の巨石で基壇を構成した異形の模塼石塔である。近年、多数の石塔の再建が計画され、発掘調査と再建が進んでいる。ほかには、石燈籠の基壇・亀趺・石槽・浮屠・石臼などの遺物が残り、各所で小金銅仏が出土する。南澗寺跡には幢竿支柱が残るが、寺院建築は近年に建てられたものしかない。鰲山谷磨崖彫像や千洞谷石柱のような、性格が不明な遺物もある。

(本郷民男)

以上、転載